日本の美学塾

日本の美学塾 創設によせて
日本文化をつなぐ 「美、出づる国へ」

今から400年以上前の16世紀後半、長崎から13、14歳の少年を乗せた船がヴァチカンへと旅立ちました。

天正遣欧少年使節−−−−彼らの使命は、日本でのキリスト教布教の状況と日本文化を西欧に伝えることでした。ヴァチカンの地に降り立った彼らは賞賛をもって受け入れられ、オリエンタルな文化は現地の人々を強く魅了したと、当時の記録に刻まれています。

いつの時代も芸術や文化は国境を越え、人と人とをつなぐ架け橋となることの証左でありましょう。

私も、海外でのパフォーマンスで幾度となくそのことを実感いたしました。
例えば、1996年パリインターコンチネンタルホテルでの空間デザインでは、クラシックな大広間を日本から運んだ300本のススキで覆い尽くしました。

華やかな西欧の美と幽玄な日本の美が調和し、えも言われぬ空気感が生まれました。
和洋折衷−−−−異なる文化が互いに共鳴し、結実したものこそ、今を生きる私たちの世代が作り上げていくべき、真の豊かな美のあり方だと思います。

知覚に強く響く西欧の美、そして知覚だけでは捉えられない日本の美。双方が相見えるとき、その強いコントラストがかえって深みのある世界観を作るのです。

その世界観は、しかしながら、容易に感受できるものではありません。
西欧の装飾的な美ばかりに目を奪われていると、日本の美しさは煙のように立ち消えてしまいます。
例えるならば、西欧の美は「宝箱」で、日本の美は「玉手箱」のようなもの。
箱そのものに意味があるのではなく、内なる空間、そこにある気やエネルギーこそが美を構成する重要な要素となるのです。

その美しさを感じ、そして表現するためにただひとつ重要なのは、自然を慈しみ、日々移り変わる四季を愛でる心。
日本人は古くから目に見えない「気配」を感じる感覚を受け継いで参りました。
第六感からくる「気」や「間」を捉える日本独特の感覚は、自然を深く感じ、生活の中に取り入れることで育ちます。私が四十年間教えてきたのも、まさにその審美眼です。

しかし今、世間を、とりわけ若い世代を見渡せば、その審美眼を失ってしまった姿が目につきます。
目立つための写真を投稿し、SNSで評価してもらうことに必死になる人々。
まばゆいデジタルスクリーンに目を落とし、空を見上げる余裕もない人たち。
確かにデジタル機器は便利ではありますが、それだけでは心に栄養は届きません。
美なる気配というものはデジタル技術では、到底届かないものだからです。

そこから離れ、自然に目を向けたとき、心は本来の美を求めて動き出します。
自然の礼節に謙虚に寄り添うこと。
大地の恵みに感謝し、命に感謝すること。
その心の持ち方を、私はひとりでも多くの方に丁寧に伝えていきたい。
なぜなら、自然と、そこに息づくひとつひとつの命こそが神秘であり、我々が再認識すべき日本の美の本質だからです。

「箱」と、その内なる「空間」。
その二つがあって初めて箱は機能するように、西欧の美と、日本の美は補完的に強く引かれ合っています。
ですから、はるか昔であっても、文化は国境を越えて会話したのでしょう。

また、「間」を捉える日本文化には、モノとモノ、人と人を柔和に繋げる性質もあります。
これこそが「和」の心であり、今の混沌とした世界に必要とされる感覚といえるでしょう。

日の本、日出づる国−−−−日本。 四十年にわたり、美とはなにかを教えてきましたが、その集大成として私は再び、日本の美を学問として皆様にお伝えしたいと思っております。
日本が、世界に美を発信する「美、出づる国」となりますように。その担い手を人生をかけて育てていきたいと切に思っております。